パニック障害の克服

 今日は、私の過去のお話をしています。

 

私がパニック障害になってしまったのはちょうど20歳の頃でした。

その頃私は、連日のように夜遊びと仕事に追われる毎日を過ごしていました。

 

当時の20歳と言えばこれが普通と言えば普通でした。

そんなある日のこと、仕事で移動中での出来事でした、長い渋滞にはまり込んでしまいました。しかもトンネルの中で。

ただでさえ疲れている中、前方から複数の緊急自動車がサイレンを鳴らしながらやってきました。もちろん渋滞中で、しかもトンネルの中です。いくら緊急自動車と言えどモタモタしか走れません。

私は運転席のガラスを全開にしていることが多く、その時もガラスは全開にしていました。

緊急自動車が自分の車の真横に来た時、偶然にも緊急自動車が前方に進めない事に気付きました。汗

サイレンは爆音でトンネル内を反響しまくり、拡声器からは爆音の音声が。

 

この時自分の意思とは無関係に、何故だか動悸が激しくなり、冷や汗が出てくる始末でした。

それまでパニックとは無縁な私だったので、どうして動悸や冷や汗が出てくるのか理解できませんでしたし、爆音のせいで考える余裕すらなくなっていました。

 

そして動悸はどんどん苦しくなり、冷や汗は止まらず、まさにパニック状態でした。

 

10分程経ってようやくサイレンが遠ざかっていく中、私はパニックで踠き苦しんでいましたし、なんとか早くトンネルを出たかったのですが、渋滞がそれを許してくれません。私はパニックの限界を感じ、トンネル内でハザードをつけたまま暫く横になって回復を待ちました。

 

当時はまだ携帯電話などは普及しておらず、電話を使いたければ何処かの公衆電話を見つけるしかありませんでした。

 

トンネル内で立往生する事30分は過ぎたでしょうか?

さらにパニックは進み、ハタチにして死を激しく意識しました。

そしてその時、偶然にも渋滞していてほとんど動かなかった車たちが、一斉に動き出しました。

その時です、今この瞬間に脱出出来なければこのまま死んでしまうとばかりに一気にトンネルを抜け出ました。

そしてまた、トンネルを出てすぐのところで車を止めて横になり回復を待ちました。今まで人生で経験したことのない恐怖をこの一時間以内に味わい尽くしました。

携帯も普及していないこの時代、同じくネットも普及しておらず、症状を検索するなどということは頭に浮かんでくるはずもありませんでした。

 

急いで公衆電話を見つけ会社に早退することを告げて、家に帰ってくることができました。

早速その日の夜に、掛かりつけの一般内科で色々と検査してもらいましたが、特に異常は見つからず、寝不足と疲れが原因だろうから、しっかり食べてよく睡眠をとるように言われ、ビタミン剤を出されました。

 

今思えば、何やってんだ!自分。って感じですよね。これでは完治どころか回復すら運任せの始末です。

 

案の定その日からあのパニック状態に怯え、夢中でビタミン剤と睡眠を取っていましたが、パニックが怖くて怖くて仕事どころか外出も出来なくなってしまいました。

 

自宅という名の監獄です。

遊ぶどころの精神状態ではありません。

少しでもこの現実から逃げたくて酒に溺れた時期でもありましたし、当時は彼女がいましたので無理に外出せずとも何とかなっていました。

当然会社に行く事が出来ないのですから、どんな理由で会社に来れないのか?と、毎日のように電話がかかって来ましたし、検査の結果、自分の身体に異常が無いので上司にもどうにも説明出来ないまま退職に追い込まれました。

所謂ニートというやつです。

当時はプー太郎と呼ばれるのが一般的でしたが(TT)

しかし、収入を得なければ不味いのは事実。何とか年月はかかりましたが隣街くらいまで外出できるまで回復しており、給料が安くても近くで就職する事が出来ました。当然アルバイトでしたが、少しでも収入が望める状況に安心していました。が、やはり家に篭っているのと会社に行って仕事をするのでは大きく違います。先ず体力面で相当辛かったものです。要は体がなまっていたのです!

最初の一カ月は全身筋肉痛でした笑

そして次に来るであろう問題の一つ、人間関係です。あの日のパニックからこの頃までには何度となくパニックに苦しめられていましたので、周りの人に気づかれぬように振舞いながら仕事をするという、自分隠しの毎日でした。

しかし、やはりというか自宅で回復できていても、一旦社会に戻るとそう簡単ではありません。

案の定ちょっとした人間関係でのトラブルが引き金となり、またパニック状態で苦しむ毎日の繰り返しがやって来ました。お医者様に掛かるも以下同文で、会社からの電話のやり取りも以下同文でした。

自宅で回復して近くで働いて、パニックを晒し、会社を辞める事を繰り返さざるを得ませんでしたし、それ以外の選択肢が無かったのも事実でした。

 

そんな事を繰り返しながら30代も後半になった頃、ようやく精神科やパニック障害の知識を知る事ができ、すぐに精神科に電話して予約を取りました。

病院なのに予約制だったのには驚きました!!

 

生まれて初めて来た精神科。自分の勝手な想像では檻に閉じ込められるのでは?なんてビビっておりました。

 

先ず出されたのが問診票。こんなに長い問診票は未経験ですが、小一時間かけて知りうるものは全て書き込みました。

 

暫くして診察室に呼ばれ、精神科の先生と今までの経緯を詳しく話ました。

話しているうちに勝手に涙が出るんです。おかしいですよね?今まで感動する映画やドラマでも一度も泣いた事が無いのに、診察してもらって自分の話を説明しているだけなのに勝手に涙が出るんです。汗

 

診断の結果はパニック障害、中度の鬱との診断でした。

 

パニック障害

鬱?

鬱はテレビなどで耳にしたことは有りましたが、パニック障害とはなんぞ?

わからないことだらけでしたので、たくさんのことを先生に質問したのをよく覚えています。

脳内の神経伝達物質の話など、素人の私はチンプンカンプンでした。(^_^)a

 

でも私にとってこの通院は、大きな大きな一歩でした。

処方されるお薬は劇薬だという事。

医師の指示方法の飲み方は厳禁なこと。

副作用が出やすいこと。

回復に関して勝手に判断せず、処方されるお薬の量はしっかり守ること。

風邪やインフルエンザでの注意事項とは全くの別物だと思いました。

 

そしていよいよ服用開始です!

あの日からの地獄から解放されると思うと嬉しくて仕方がありませんでした。

 

続きは次回になりますm(_ _)m

 

読者の皆様、いつも読んでくださりありがとうございます(^_^)